昭和46年01月10日 特別奉修委員
御祈念に加藤清正が、虎にまたがって歩いているところを頂いた。加藤清正ていうのは見たことがないけど、あの武芸の加藤清正ですよね。槍を小脇にこう持って、虎に乗って歩きよるところ。みなさんどげん思うですか。加藤清正の虎退治です、有名ですよね。だからその三本槍が、一本噛み折られたち言う。その噛み折られた二股槍が大変そのまあ武勇を、まぁならした訳ですねかえって。
けれどもその、それよりもっと素晴らしい、その生き方、それが信心なんですね。それはどう言う事かというと、そういう例えば、虎を退治する事よりもね、虎をやっつける事よりも、その虎を自由にすると言う程しの事ですね、信心というのはもう一口でぶすっと相手を突く様な事を言うたりですね、もうやりつけると言う事ですね。それはいかにも信心の、例えば御理解なら御理解をもってですたいね。
それはそのまあ、こと神様の事でぴしゃっとやりつけると言う様な事やらはね、もうそのある意味では、溜飲が下がる様な感じがしますけれどね、そうじゃなくてやっぱそれをやっぱりあの、なんて言うですかね。本当に例えば、それを猫のように、自由に扱えれるおかげを頂くと言う事は、もっと素晴らしいことだと思います。これは信心による事でなければ出来る事ではない。
私のあの部屋に行く、行き当りにあのなんか有名な絵がかかっておりますたい。あのお坊さんが虎に乗っておられるね。あれなんかやっぱりそうです。徳ですね。もうその徳者の前には虎が猫のように優しくなっておる。そん為にはね矢張りどう言う事かと言うと、その例えば虎なら虎の好きなものをね、私は与える事だとこう思いますね。もう愈々難儀を感ずる時に、そこのねその例えば。
是はまあ人間関係は人間関係で、色々問題がある時にですね、もうその一番その人が求めておるもの、一番好きなものを私は与える事じゃないかとこう思います。これはまあ意味は大変違いますよ、大変違いますけど、今野口つぁんお神酒のお供えを持ってきよる。それがあの、あっちのご主人がですね、お酒がお好きですから、やっぱ子供達でんみんな、お父さんの誕生日と言うと。
初めからこれはお父さん、お神様ですばいのち言うちから、ちゃんとやりつけちゃるもんだけんが、ほんにもうこう飲まずにおるけんが、飲めち言うてから言うたこっで御座いましたけれどですたい。まあ是はそれとは違いますよ意味は。やっつけた訳じゃないですけれどですね。けれどもやっぱり少しはそう言う所を感じますね。もうお父さんな自分の言うごつなるというごたる事はなかろうばってんね、それよりかやっぱほんとにもう信心で徳で、もう家内のいうとがほんととですね。
恐らくだから私は、ほんとにまるきり是は、あぁたは身を削った様なお供えのち言うたことでしたけれどですよね。そういう例えばそれはね、今日のあの話の内容には、何しませんけれども、そう言う様な事がね、こと神様と思うとるから、もう自分は自信たっぷりですよね。野口つぁん自身は。又そういう主人も神様ち言う事なら、否応ないですからね、あちらなんか。
ですからばってんか、まあそげなことはないでしょうけれども、折角頂いたと言う。嫌な事であったらあの是は、一事が万事にそんな感じが致しますよね。私今日は加藤清正が虎にまたがっておるのを見せて頂いてですたい。ほんとに私共のもう例えば、言う事を聞かん、子供なら子供が言うことを聞かんでしょうが、自分の言う事を。そう言う事を、神様にお願いして、どうぞ言う事を聞きますようにじゃいかん訳です。
やっぱり子供のその子供が一番求めておるもの。例えば母親なら母親に。もうそんならね、やはり子供も今度は、ほんとに母親の一番喜ぶものを出してくるようなおかげになってくるです。それが私は虎がちょうど、あの虎にまたがっておる加藤清正じゃなかろうかと思いますね。もう子供が一番求めておるもの。だからそれをまず知ることだと思う。そこから手なずけるということにもありましょう。
同時に、ほんなら子供もね、今度はお母さんの一番好きなものを、与えてくれるようになる。そこに、もうそれこそ、加藤清正と虎とがね、仲よう、もう退治するんじゃなくて、乗って廻っておるようなおかげ。そのかわり、虎には、何時も好きなものを与えられるといったようなね、あいよかけよというのはそげなことではなかろうかと思うですね。
どうぞ。